2018年08月14日

なんで?こんなところに!?【投稿者:少年記者F】


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先日、市役所西庁舎に入った時中庭みたいなところにお城の模型があるのに気付いた。何回も中庭の前の通路を通っているのに、気付かなかったのは、おそらく「行事ご案内」の看板でよく見えなかったからであろう。


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よく見ると、名古屋城に似てる。なんで縁もゆかりもないこの長久手市に名古屋城に似てる城があるのだろうかと疑問に思って、市役所の人に尋ねてみた。
その人も城の存在を知らなかったらしく、その人が他の人に聞いてみてくれたものの、結局市役所で詳しく知っている人はいなかった。が、いろいろと調べてくれついに資料が見つかった。


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昭和53年3月号の長久手の広報P4〜P5に「がんばる」というコーナーで『コンクリートでお城作り 村瀬止朗さん』というタイトルで載っていた。やはり、名古屋城であった。また、詳しいことは、その広報を載せておくので直接読んで欲しい。


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記事のための写真を撮る時、近くに石碑を見つけた。『城 贈 村瀬止朗 造 昭和四十九年十月吉日 長久手町総合福祉会館』と書いてあった。総合福祉会館とあるので、まだ西庁舎にある前だ。
ちなみに、村瀬さんのお宅を地図とハローページで探して尋ねたが、村瀬止朗さんはすでに亡くなっており、ご子息の方と少し話をしたが、詳しいことは知らないそうであまり情報は得られなかった。
タイトルの『なんで?こんなところに!?』にの答えとしては、村瀬さんがこういう模型などのものをつくるのが好きで、手のこんだものをつくりたくなったのでつくり、寄付をしたからということになる。


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また、追加情報があればお知らせしたい。


少年記者F


〈参考〉〇昭和53年3月号の広報P4〜P5



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2018年08月13日

広島平和体験学習に行ってきた!【投稿者:少年記者F】

今回で4回目となる平成30年度長久手市中学生広島平和体験学習に行ってきた。日程は8月8日(水)〜8月9日(木)で、メンバーは市内の応募して抽選に当たった中学生と市役所の人4人と旅行会社の添乗員1人の計20人で構成された。


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1日目は、市役所のロビーで市長と平和事業推進委員会の委員長のあいさつが終わった後大勢の人に送られて広島へと出発した。
市の公用バスと新幹線で移動し広島に着いた後初めての路面電車(市電)に乗り、広島平和記念資料館(去年から本館はリニューアル工事中なので東館のみを見学した)という被爆者の遺品や被爆の惨状を示す写真や資料を収集展示や被爆前後の歩みや核時代の状況などを紹介しているところに到着。しばらく見学し、その時広島が軍都だったことやアメリカが秘密裏にマンハッタン計画と題し原爆を作っていたこと、ビー玉やガラスびん等を変形させるほどの爆風・熱線だったことなどを知った。


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その後、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館という長たらしい名前のところで被爆体験者によるお話を聞きました。
お名前はアサノさんといい、アサノさんは当時中学2年生で偶然にも原爆が投下された時は用事があったので学校のみんなとの草取り作業はせず船にいたため、無事だった。
その後、中国新聞社に入社し記者として新聞で原爆について伝えた。
アサノさんの話は、実に内容が濃く勉強になった。


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2日目も同じ平和記念公園内を見学した。


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まず原爆ドームと爆心地に行き、原爆ドームではそこだけ違う世界のように感じられた。


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次に原爆の子の像の隣のところに中学生が折った鶴をかけた。
たくさん持ってくる人がいたため、自分たちのちょうど千羽の鶴が少なく感じた。


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最後にテレビでよくみる原爆死没者慰霊碑(広島平和都市記念碑)を見ながら近くの中学かなんかの先生の説明を聞きながらいろいろ考えた。
“1945年8月6日午前8時15分の広島の原爆やその他の戦争についてのことを決して忘れてはならない”と。

少年記者F


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(参考)
・広島体験学習で手に入れたパンフレット ・広島体験学習日程表


posted by 長久手市市民記者 at 14:11| 市民記者のつぶやき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする