2017年02月17日

長久手の城〜長久手城編〜【投稿者:少年記者F】

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 こんにちは!今回も長久手にあった四城のうちの制覇している城を見ていこう。今回は長久手城だ。
 長久手城は一番エピソードがあった城かもしれない(長久手四城の中で)。そのエピソードを紹介しよう。

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 1582年、天下を取る目前で織田信長が明智光秀に討たれた。
信長家臣 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、真っ先に光秀を討ったので勢力を伸ばした。信長と同盟(清州同盟)を結んでいた徳川家康も着実と力を付けていた。
 そこに信長の次男(本当は三男?説も有!)織田信雄(のぶかつ)が、「秀吉はわしらの家臣のくせに、力を伸ばしやがって」と家康に助けを求めた。「主君の子の命令」という大義名分(攻める理由)を得た家康は、秀吉と対決することを決意した。
 ここまでは、僕が考えた、長久手城のエピソードの背景だ。ここからが、本当のエピソードである。

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 長久手城主 加藤太郎右衛門忠景(かとうたろううえもんただかげ)は、家康方についた丹羽氏の岩崎(いわさき)城(日進市)に応援として行く。
 しかし、秀吉の空になった岡崎城(岡崎市)を攻めるという『中入り作戦』を実行中だった信長の乳兄弟 池田恒興(つねおき)の軍が、岩崎城の前を通る。
  丹羽氏は、「ここで敵を食い止めて家康様にお知らせする」と言って池田軍に攻撃した。もちろん、忠景もそれに加わる。ということで、戦いが起こった。「岩崎城の戦い」である。だが、城は一時間余りで落城してしまった。なので、忠景は戦死する。
 城主がいなくなった長久手城は(長久手城は攻められていない)、廃城となってしまった。
 というエピソードである。いかがであっただろうか。仲の良い丹羽氏のために死ぬ忠景とそれにより廃城になる長久手城。切ないであろう・・・。


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 今回は、長久手城について見てきた。本文が長くてデータ的なことが、書けなかった。
 なので、今回もデータを書いた。詳細はそちらへ。では、また来週。

少年記者F

<データ>
城主・・・加藤太郎右衛門忠景
堀割り・・・幅3〜6m 深さ1.7〜7.5m
構造・・・東城と西城が並立する連郭構造。

<参考>
○長久手市文化財マップ(生涯学習課に有!)

posted by 長久手市市民記者 at 10:31| 長久手の歴史・史跡・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする