2017年05月19日

長久手合戦史跡巡りbP 〜漢字10個で〜 【投稿者:少年記者F】

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 今回からもう一つ新シリーズを始めよう。
  その名も「長久手合戦史跡巡り」だ。主に、長久手市文化財マップ(いつもの)に載っているものを紹介する。
 今回は、その内の桧ヶ根公園内にある、漢字10文字、堀久太郎秀政本陣地跡(ほりきゅうたろうひでまさほんじんちあと)に行ってきた。

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 また、桧ヶ根公園の行き方は、下の方にある<データ>にあるので、そちらもぜひ。
 ではまず、堀久太郎秀政について簡単に説明しよう。もともとは、織田信長の家臣だったが、1582年に起きた本能寺の変で信長が倒れたため、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の家臣となった。そして、中入り隊(1584年の小牧・長久手の戦いで秀吉と徳川家康が衝突した際、家康の「本拠地 岡崎を攻める秀吉の部隊である)の4隊ある中の第2隊大将となった。また、軍監(いくさめつけ)(味方の軍がどれだけ戦功があるかなどをみる人。多分。)としても出陣した。
 でも、中入り作戦に家康は気付いた。そこで家康は、家臣にこの中入り隊の総大将でもある、第4隊大将の三好秀次(後の羽柴秀次、豊臣秀次)を攻めさせ勝利した。圧勝だった。その知らせを聞いた秀政は、徳川軍を待ち伏せした。勢いにのった徳川軍は、待ち伏せされた秀政軍に、鉄砲などで次々と倒れていった。

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 この時の秀政の陣こそ、今回紹介する漢字10文字「堀久太郎秀政本陣地跡」である。つまり、桧ヶ根公園で戦、桧ヶ根の戦いがあったわけである。
 ついでに、写真を撮っている時に、多分皆さんご存知ない姉妹友好都市の
ワーテルロー市(ベルギー王国)との友好の樹を見つけた。

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 では最後にデータを書いて、終わりとしよう、また来週。
                        少年記者F
                                    
<データ>
桧ヶ根公園への行き方
〇Nバス中央循環線「中央図書館」下車、徒歩2分
〇リニモ「はなみずき駅」下車、徒歩8分
<参考>
〇Nバスマップ
〇長久手市文化財マップ(生涯学習課にあり!)
posted by 長久手市市民記者 at 12:00| 長久手の歴史・史跡・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月13日

長久手の城〜福岡館編〜【投稿者:少年記者F】


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 こんにちは。前回、いろいろ言いかけていたがそれは、こういうことだ。文字通り福岡館だから、長久手四城には入らない。でも、文化財マップには、「城跡」というスペースに入っていた。なので、この福岡館も長久手の城シリーズに加えたのだ。
 本当は、福岡館ではなく、福岡太郎右衛門館跡という名前ですが。題名はできるだけ短い方が良いので省略した。

〈行き方〉
 とりあえず、行き方を紹介しよう。今回も写真多めで紹介する。

↓福祉の家の南側出入り口の様子

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ここを左折し、うなぎ屋さんが角にある信号まで直進する。
ちなみに、福祉の家へは、N-バスがたくさん停まっているから大丈夫。

↓先ほどの信号の様子
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この信号を渡ったらすぐ左折し、直進。

↓福祉の家の看板が目印!
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ここを右折し、ずっと直進。川沿いから行くと、出られなくなるから注意。
「前熊寺」という看板が出てくるまで、ひたすら前へ進む。

↓やっと「前熊寺」の看板。
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ここを左折し、直進して「前熊寺」に着いたら、館に到着だ。

「あれ、寺じゃん。館じゃなかったの?」と思う人がいるかもしれないが、実は、この「前熊寺」の境内が館があった場所なのだ。

↓前熊寺の様子
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↓灯ろうだ。館にもあったかも?!
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 一応言っておくが、石碑は無かった。しかし、銅像がある建物に、館の説明の板があった。
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 この部屋は、鍵がかかっているが、住職さんに声をかけたら、見せてもらえた。
 僕も、住職さんにさまざまなことを教えてもらった。住職さんによると、「長久手町史に詳しく書いてある」らしい。もっと詳しく知りたい人は、長久手町史を見て欲しい。
 最後に最初の写真の説明をしておこう。あの写真は、ここに城があったよーというところの写真だ。
 では、これで長久手の城〜福岡館編〜を終わる。いや、長久手の城を終わる。新シリーズもお楽しみに!
 ああ長かった。
少年記者F

〈参考〉
○長久手市文化財マップ(生涯学習課に有り。)
○前熊寺の住職さんのお話
posted by 長久手市市民記者 at 10:46| 長久手の歴史・史跡・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月24日

長久手の城〜岩作西城編〜【投稿者:少年記者F】

 こんにちは。今回は僕が制覇していない岩作西城について見ていこう。制覇していない城、つまり行ったことのない城なので、地図でその場所を探した。いつも参考にしている長久手市文化財マップの地図でだ。
 岩作西城と思われる場所に着いたが、一向に見つからない。周辺を探しても見つからない。どうしたことだろう。下の写真は岩作西城を探していた写真だ。

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 よく文化財マップを見た。そこにはなんと、「畑地と宅地からなる区画らしき部分が城跡と推定されますが、詳細は不明です。」と書いてあったのだ。ということは、誰かの家の中が城跡で、石碑がないということだ。いや、断言はできない。僕が、たどり着けなかったかもしれない。
 そして、また一つアクシデントが起きた。岩作西城と思われる場所を撮ろうと思ったのだが、カメラの電池残量が切れたのだ。なので写真が二枚と少なくなってしまった。あともう一つの写真(下の写真)は、地図上での岩作西城跡の風景だ。
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 今回は、石碑もなかった?石碑までたどり着けなかった?という風になってしまった。というわけで、みなさんも行ってみてはいかがだろうか。文化財マップを見て。
 では、また来月。
少年記者F

<参考>
〇長久手市文化財マップ(生涯学習課に有!)
posted by 長久手市市民記者 at 19:30| 長久手の歴史・史跡・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月17日

長久手の城〜長久手城編〜【投稿者:少年記者F】

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 こんにちは!今回も長久手にあった四城のうちの制覇している城を見ていこう。今回は長久手城だ。
 長久手城は一番エピソードがあった城かもしれない(長久手四城の中で)。そのエピソードを紹介しよう。

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 1582年、天下を取る目前で織田信長が明智光秀に討たれた。
信長家臣 羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)は、真っ先に光秀を討ったので勢力を伸ばした。信長と同盟(清州同盟)を結んでいた徳川家康も着実と力を付けていた。
 そこに信長の次男(本当は三男?説も有!)織田信雄(のぶかつ)が、「秀吉はわしらの家臣のくせに、力を伸ばしやがって」と家康に助けを求めた。「主君の子の命令」という大義名分(攻める理由)を得た家康は、秀吉と対決することを決意した。
 ここまでは、僕が考えた、長久手城のエピソードの背景だ。ここからが、本当のエピソードである。

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 長久手城主 加藤太郎右衛門忠景(かとうたろううえもんただかげ)は、家康方についた丹羽氏の岩崎(いわさき)城(日進市)に応援として行く。
 しかし、秀吉の空になった岡崎城(岡崎市)を攻めるという『中入り作戦』を実行中だった信長の乳兄弟 池田恒興(つねおき)の軍が、岩崎城の前を通る。
  丹羽氏は、「ここで敵を食い止めて家康様にお知らせする」と言って池田軍に攻撃した。もちろん、忠景もそれに加わる。ということで、戦いが起こった。「岩崎城の戦い」である。だが、城は一時間余りで落城してしまった。なので、忠景は戦死する。
 城主がいなくなった長久手城は(長久手城は攻められていない)、廃城となってしまった。
 というエピソードである。いかがであっただろうか。仲の良い丹羽氏のために死ぬ忠景とそれにより廃城になる長久手城。切ないであろう・・・。


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 今回は、長久手城について見てきた。本文が長くてデータ的なことが、書けなかった。
 なので、今回もデータを書いた。詳細はそちらへ。では、また来週。

少年記者F

<データ>
城主・・・加藤太郎右衛門忠景
堀割り・・・幅3〜6m 深さ1.7〜7.5m
構造・・・東城と西城が並立する連郭構造。

<参考>
○長久手市文化財マップ(生涯学習課に有!)

posted by 長久手市市民記者 at 10:31| 長久手の歴史・史跡・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月10日

長久手の城〜岩作城編〜【投稿者:少年記者F】

@岩作城址.JPG


 はじめまして。少年記者Fである。
 いきなり本題に入ろう。皆さんは、長久手市にいくつ城があるか、いや、いくつ城があったかと言った方が正しいだろう。改めて、質問しよう。皆さんは、長久手市にいくつ城があったかご存知だろうか?
 答えは4つだ。岩作城、長久手城、岩作西城、大草城だ。僕は、岩作城と長久手城しか行ったことが無いが、これから市民記者になったことを機に、長久手4城を制覇したい。
 今日はこの中で、行ったことのある、制覇している岩作城を紹介したい。

A長久手市役所.JPG

場所はというと、市役所の中で、何があるかというと、「岩作城」と刻まれている石碑だけである。しかし、たとえ石碑だけであっても、歴史のロマンを感じないだろうか。僕は感じる。

B石碑裏.JPG


そこに城があったと思うとロマンを感じるのだ。
下の写真のところは、城の中だ。
C城があったところ.JPG


 あと一つ忘れていたことがあった。城主は今井四郎兵衛または今井五郎太夫だ。まあ、後でデータを書くからそこを見て欲しい。
よし、ここらで終わろう。岩作城のネタも少ないし、はじめの方が長かったし。
 では、長久手の城〜岩作城編〜を終わる。


少年記者F


<データ>
城主・・・今井四郎兵衛または今井五郎太夫。
発掘調査で出土したもの・・・天目茶碗など茶道具
<参考>
○長久手市文化財マップ(生涯学習課に有!)
posted by 長久手市市民記者 at 13:45| 長久手の歴史・史跡・街道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする