2015年01月06日

ながくてヴァンガード(先駆者)ドクター・ジャズ 内田修 その2 【投稿者:モリゾー1104】

内田修氏へのインタビューの続きです。


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○ジャズを聴く上でのお好きな演奏形態(ソロ、トリオ、カルテットからビッグ・バンドまで)はありますか?

内田氏:演奏形態はピアノ・ソロに始まると思うが、編成の人数が多くなるに従って、その味わいにも変化が生まれ、自然とそうなっていったわけであり、どれがベストかといっても簡単に答えられるものではない。いずれにせよ、ぼくは、運よく半端のない天才的なミュージシャンばかりに出会うことができて、本当によかったと感じている。


○先生が直接、録音された生演奏の貴重なテープについて、当時の苦労話などお聞かせください。                                                                                      

内田氏名古屋でのレコード・コンサートの録音(手回しや電気の蓄音機から)が手始めとなるのだが、「ヤマハ・ジャズ・クラブ」でのライブ録音に発展し、33年間で150回もの開催ができた。それと同時に活動の幅を東京にまで広げたので、重い録音機(ソニー製の777型機)を担いで夜行列車に乗って東京に通うことが多くなった。それはあまりに大変なことなんで録音機をもう1台購入し、それを東京で預けて、ミュージシャンたちに録音のしかたを教えて、録っておいてもらうようにしたんだ。それが結果的に、多くの録音テープを残すことになったんだね。このテープは決して非公開とはせずに、市民の皆さんに是非とも有効に活用をしてほしい。特に、次代を担う若い人たちにたくさん使ってもらえたら、すごくうれしいなあ。                                         

                                                                          


○先生が交流してきた多くのミュージシャンの中で、思い出深いエピソードなど教えてください。                                                                                                

内田氏:まず、なんといっても秋吉敏子(※1)(ピアノ)を忘れてはならない。ぼくが少し先輩だったのだが、女性でもあったので、敬愛も込めて「さん」づけで呼ぶことにしたんだが、彼女はよく私の家に泊まって風呂にも入っていたよ。そう、昨年、岡崎で久し振りに秋吉さんのライブを聴く機会があったんだが、昔はトークなどは全くせずに曲のタイトルしか言わなかった彼女が、雄弁にしゃべっていたので、びっくりさせられたなあ。あの時は本当によくしゃべったよね。でも、彼女がぼくに捧げてくれた曲もあったので、本当にうれしかったなあ。海外では、バド・パウエル(※2)(ピアノ)を挙げよう。彼がパリからニューヨークに帰って、バードランドでライブをやるというので、早速聴きに出かけた。演奏後に、彼が僕のところにやってきて「チップをくれ!」とせがむのでお金を渡した。ぼくが帰ろうとすると、表通りまでついてきて、再び「チップ、チップ!」とせがまれた。それがあのバド・パウエルなのである。また、チャールズ・ミンガス(※3)(ベース)もぼくがライブ行くと、すぐに目をつけて、途中演奏をさぼり、ぼくの席までやってきて飲みかけのビールに手を出したりとたかられっぱなしで、この二人には特にそういった印象が強く残っているね。


※1 秋吉敏子(あきよし としこ)

 日本のジャズ・ピアニスト、日本人で最初にバークリー音楽院に学ぶ、日本人で初めて「ジャズ・マスター賞」を受賞

※2 バド・パウエル

 アメリカのジャズ・ピアニスト、「モダン・ジャズピアノ」の祖といわれ、「クレオパトラの夢」が有名      

※3 チャールズ・ミンガス

 アメリカのジャズ・ベーシスト兼コンポーザー、アルバム「直立猿人」が代表作。




○これからジャズや音楽を志す若い人に向けて、励みになるようなメッセージをお願いします。                                                                                                                

内田氏なんでもそうだが、個性(オリジナリティ)を持つことが大事であり、模倣(マネ)は絶対にやってはいけない。それと本物と偽物を見極める洞察力を身につけることが大切であると思うなあ。でないと本物にはなれない。僕自身はもうかなりの歳なので、自らが表に出るようなことは遠慮させていただくが、ぼくが残したレコードやテープは岡崎市ともよく相談しながら、うまく活用ができるとうれしいよね。ジャズに関して何か聞きたいこと、参考にしたいことがあれば、聞きに来るといいよ。ぼくはいつでも歓迎するよ。                                                                                                                      


【取材を終えて】                                                                      

インタビューは、ジャズの話題を中心に進行させていただいたのですが、内田先生のお言葉の節々に外科医の仕事が最優先であったことに触れられ、麻薬に手を染めた多くのミュージシャンを更生させ、再び第一線に復帰させた医師としての自信と誇りを感じとることができました。未だ、本業を忘れず、ジャズ・ミュージシャンとの交流を大切にしながら、現在でも国内外のライブに出掛けられるバイタリティには頭が下がります。にわかジャズファンの私としては、あくまでも願望ですが、次回のジャズライブにご一緒させていただきたいと思いました。

おわり
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ながくてヴァンガード(先駆者)ドクター・ジャズ 内田修 その1 【投稿者:モリゾー1104】

最近、思わぬところでジャズのBGMが流れている。例えば、居酒屋や焼肉店、JRの駅の構内などである。ジャズが流れるとその場がなぜかオシャレな空間になってしまいます。外科医でありながら、日本のジャズ演奏家を陰で支えてきた「ドクター・ジャズ」こと、内田 修さんが長久手市民であることをご存じでしょうか。そんなジャズ界の功労者は、日頃からライブ演奏を聴くのがお好きで、あのナベサダ(渡辺貞夫氏)※とは昔、同じ皿のナポリタンを二人で分け合ったほどの旧知のご関係とのことで、日本のジャズの黎明期を中心に思い出も交えてお話を伺いました。

 今回インタビューをさせていただいたのは、内田修氏のジャズコレクションを展示している、岡崎市図書館交流プラザ(リブラ)内にある、「内田修ジャズコレクション展示室」の中にある、ジャズの演奏家から「ドクターズ・スタジオ」とよばれたスタジオ兼リハーサル室兼レコード鑑賞用オーディオルームです。

※渡辺貞夫(わたなべさだお)

 作曲家、アルトサックス・フルート奏者。日本を代表するトップミュージシャンとしてジャズの枠に留まらない独自の音楽性で世界を舞台に活躍。

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岡崎市図書館交流プラザ「リブラ」内の内田修ジャズコレクション展示室



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内田修氏


【内田修氏略歴】

1929年、岡崎市に生まれる。名古屋大学医学部を卒業し、内田病院にて外科を開業した。「ヤマハ・ジャズ・クラブ(150回開催)」を設立し、主宰者として、33年間にわたり携わる。病院内に「ドクターズ・スタジオ」を開設し、内外のジャズ・ミュージシャンと交流し、親交を深める。最近のミュージシャンでは、ケイコ・リー、綾戸智絵、寺井尚子を見い出し、世に送り出している。1992年、外科医を引退し、その翌年には膨大なジャズ・コレクションを岡崎市に寄贈した。長久手市在住。


○内田先生が、ジャズにのめり込んだきっかけは何ですか?

内田氏:終戦後の名古屋にもアメリカの進駐軍が入り、たくさんの兵隊がやってきて、「コンボ」を代表とするジャズ喫茶がいくつかできた。そこにぼくが入り浸っていたことが、ジャズという音楽に自然に入り込むきっかけになったような気がする。今思うと、アメリカの兵隊や将校が出入りするような所にいたというは、やっぱり不良学生だったんだよなあ。ジャズ喫茶といってもその頃なかなか手に入らなかったSPやLPレコードを持ち込んで聴かせてくれる所で、ぼくも何枚か買い集めたし、米兵もたくさん持ってきたので、徐々に充実していった。ぼくは英語がそんなにも達者ではなく、上手に会話ができるはずもなかったが、彼らと一緒に大好きなジャズを聴いていると、なぜか自然と通じ合い意気投合して、食事に行ったり、飲みに行ったりすることもあったなあ。                                    

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○先生ご自身が、演奏する側になってみようと思ったことはなかったですか?   

内田氏:実は、ぼくは子供の頃からピアノを弾いていたんだが、プロのミュージシャンの演奏を目の前で聴いたときに、「これはバカがつくような天才」であって、とてもかなわないと度肝を抜かれたため、その時から文句を言う側、つまり聴く側にまわったんだよね。その中でも、富樫雅彦(※)は大変な天才ドラマーであり、有名なアメリカのミュージシャンや渡辺貞夫(アルトサックス)も彼のドラムでセッションをやりたがっていたよね。当時、日本にも実力のあるドラマーは何人かいたのだが、富樫とは明らかに質の面で大きな差があり、彼らも富樫のすごさを十分に認めており、まさに本物は本物を知っているんだなあと感じたのを今でも思い出すよ。

※富樫雅彦(とがし まさひこ)                                                                         

日本のフリー・ジャズのパーカッショニスト、当時は内外から「天才ドラマー」と呼ばれた

                                                       

○「即興」と「スタンダード」の違いや、「ジャズ」と「クラシック」の違いについて簡単に教えてください。

内田氏:「即興」も「スタンダード」も大きな違いはないが、即興(=アドリブ)はそのものが作曲でもあり、その場あるいはその時に心と頭で感じて生まれた音楽であり、本物の人にしかできないものである。また、「ジャズ」も「クラシック」も譜面を大事にすることは同じだが、ジャズは即興的な要素が絶対的に多いんだよね。それに対し、クラシックは「スウィング感」を持っているわけではない。アドリブをやるためには、ジャズのようにリズムがきちんとしているとやりやすいのである。             


つづく

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